基本的に政治・宗教・野球の事は書きたくないのですが、今回は何となく『神様』について書いてみようと思います。今回書く神様というのはタイトルにもあるように、あくまで日本でよく言われる神様の事で、世界的に一番信者が多いと言われているキリスト教のJesusの事ではないので勘違いしないで下さい。
私は特に宗教に関して興味がないのでキリスト教がどんな宗教なのかと聞かれても『多分一神教なんじゃないかな?』という程度ですのでキリスト教については書きたいと思った所で書けません。
だからと言って知りたいわけではありませんので勧誘したりしないでくださいね。
そんな私ですが、今回は神社について書いていきます。昔から言われている『夜に神社へ参拝に行ってはいけない』というのは本当なのか。そもそもなぜダメだとされているのかについて考えていきたいと思います。
そもそも夜の参拝はNGなのか
夜の参拝が絶対にNGとなると、新年が明けた瞬間に初詣に行くことはNGとなってしまいますよね。
それだけでとりあえず夜の参拝が絶対にNGでは無いという事はわかると思います。
しかし、私が昔言われた『夜参拝に行ってはいけない』というのは理由も説明されましたのでいくつか紹介させて頂きます
夜は神様がいらっしゃらない
この話しを聞いた時は『神社=神様の家』だと思っていたので、夜家にいない意味がわかりませんでした。
私に話しをしてくれた人は、神様は夜になると神様の世界にお戻りになって、朝になるとまた戻ってきてくださる。だから夜の参拝は行った所でお願いは聞き入れてもらえない。と言った感じの話しをしてくれました。
私もなるほどと思った記憶はあります。
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日没を過ぎると霊界とつながる
別の方から聞いた話しでは、日没を過ぎると霊界とつながるらしいです。
いよいよ意味がわかりません。
神社とは神域だと思っているので、霊界につながる要素がどこにあるのか理解できません。
日没と共に霊界につながるのは別に神社でなくても良い様な気がするのですが、私の気のせいなのでしょうか。
私に教えてくれた人曰く『波動が荒くなる』らしいのですが、波動って何の事か聞いても『波動は波動や』という謎の呪文で返されました。
夜は神様の時間
夜の神社は神様の世界になると言われました。
夜になると神聖さが昼間よりも一段とあがり、人間が入ってはいけない領域になるそうです。
それ故に神事は夜行われる事が多いと言われました。
そして付け加えて言われたのが『呪いの藁人形』の話しです。藁人形は人に対して恨みを込めて釘で人形を打つという何とも暗い方法です。
それは丑の刻に神社に訪れて行われるのですが、夜に行くのには意味があるそうです。
夜、神域に入って神様の怒りをかう事で、我が身を危険にさらすリスクの代償に恨みをはらしてもらうという行為だそうです。
人を呪わば穴二つとはよく言ったもので、恨みをはらせる代わりに自らを犠牲にするというとんでもない自爆行為です。
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神社を参拝する目的
そもそも神社に参拝する理由は何なのでしょうか。
よく『神様にお願いをする』と言った事を聞きますが、私は違うように教わりました。しかし私の横文字嫌いのおばあちゃんからは『神様に感謝を述べに行く』と教わりました。
と言うことなので、私は年に一回だけしか神社に行くことはありません。
初詣に行って、とりあえず感謝を伝えて出店に寄って帰るだけです。
神様とは言え100円玉を放り込まれて5つも6つもお願いされたら困りますよね。何かを成就させたい時はその担当の神様がいる神社を探してお願いしに行って下さいね。
私が思う夜に参拝してはいけない理由
とても単純な事ですが、防犯の為だと思います。
神社の中にはお賽銭箱もありますし、人だって住んでいます。人が生活しているという事は、生活している人にとってその場所は家となるわけですよね。
考えてください。
自分の家の庭に夜中人がウロウロしてたら嫌じゃないですか。
少なくとも私は嫌です。
そんな事も考えて、なんやかんやと理由を付けて夜中に人が入りにくい状況を作っているのではないかと考えます。
神様という目に見えない存在は、語る人によって変える事ができますからね。
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神様という存在
世界中見渡してみると、神様と言われる存在は数多くいます。
中でも日本は神様の種類がかなり多く語られているかと思います。
私自身は余り神様とか興味ないのですが、私の聞く神様はどれも人間にとってとても都合の良い事を言ってくだざる様に思います。
そう考えると宗教に興味の無い私は、神様という存在はやはり人が作り出したものに過ぎないのではないかと思ってしまいます。
これはあくまで私の考えなので、私のような小物に神様の存在なんてわかるはずもなく、そのように考えてしまっているだけにすぎません。
私は神様がいるかいないかという事を聞かれると間髪入れずにいないと答えます。
それには私なりの考えと根拠があります。
もし神様がこの世にいらっしゃるとしたら、これほど罪深い人間という存在を野放しにしておくとは到底思えません。
しかし、神様という存在がもしいたとしたら、私のこの程度の考えは小さな問題に過ぎず、大きな器で人間を見守ってくれているのかもしれません。
結局私が今回のテキストで何が言いたかったかと言いますと、もしかしたら神様はいるのかもしれない。
だから念のために悪いことはしないに越した事はないですよね。という事です。
私は悪いことをすると、それ相応の報いを受けると信じています。
そこに神様という概念は存在していませんが、報いを受けないと真面目に生きている人が馬鹿を見るだけになってしまいますからね。
私は平等論者ではありませんが、真面目に生きることを否定するような事だけはあってはいけないと思っています。
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